2010.10.20更新
(★印が主な更新個所です。)
まとまった基本文献リストは、『新版 総説 新約聖書』(日本基督教団出版局、2003)の巻末が、最新か。G.D.フィー『新約聖書の釈義』(永田竹司訳、、教文館、1998)も英語の文献中心だがたいへん有用。日本語の注解書は『新共同訳新約聖書注解』(全2巻、日本基督教団出版局、1991)の巻末付録にあるが、だいぶ古くなってきたか。第1巻と第2巻は同一。木田献一、荒井献監修『現代聖書講座』(全3巻、日本基督教団出版局、1996)(1:聖書の風土・歴史・社会、2:聖書学の方法と諸問題、3:聖書の思想と現代)の巻末には、各章ごとの専門的な和洋参考文献表あり。
『キリスト新聞』2002.10.19、3頁の「特集 21世紀の神学と教会 ニューリーダーたちに聞くC」で、大坂太郎(アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の中央聖書神学校講師)が紹介している「新約聖書を読み解く10冊」:フィー『新約聖書の釈義』、岩隈直・土岐健治『新約聖書ギリシャ語構文法』、サンダース『パウロ』、ダン『新約学の新しい視点』、加山久雄『ルカの神学と表現』(教文館)、R.タンネヒル『ルカ――使徒の叙述的統一性』(邦訳なし)、F.F.ブルース『使徒行伝』、中澤啓介『マタイの福音書註解』(上、中)、岡山英雄『子羊の王国』(いのちのことば社)、フィー『神の力を与える臨在――パウロ書簡に見る聖霊』(邦訳なし)。
1.1 正典成立史
正典化の過程を実証的にたどった本
- 蛭沼寿雄、『新約正典のプロセス』、山本書店、19721,19892、213頁、1942円。
- 第2版は、初版の誤植を訂正し、加筆は最小限のとどめられている。広く文献を示すことによって、新約正典化の歴史的経緯を実証的にまとめたもの。したがって、その神学的意味の議論はないが、宗教改革以降の諸信仰告白の中の聖書に関する言明まで紹介している。Kurt Alandにずいぶん依拠している感じで、「無原理の原理」にたびたび言及する(p.69, 143)。巻末に資料として、「ムラトーリ正典目録」などの日本語訳あり。
それなりに正典化の過程をよく説明しているもの
- 川島貞雄、「新約正典成立史」(『総説 新約聖書』、日本基督教団出版局、1981の第10章)。
- キリスト証言として公同教会の礼拝において読まれるべき文書として、歴史の中で結集していったことが述べられている。マルキオンについては、「教会はこの事柄において彼を手本にしたとは言えないにせよ、マルキオンの正典が正統的教会の正典編成への動きに拍車をかけたことは事実である」とする。
正典化の意味を解明しようとがんばっているもの
- 『新版 総説 新約聖書』(日本基督教団出版局、2003)の第10章が、大貫隆、青野太潮「新約正典成立史」。★
- 原始キリスト教からマルキオンまでを青野太潮、マルキオンからアタナシオスまでを大貫隆。
- 青野太潮は、1.新約聖書の各書と使徒教父文書の記述から原始キリスト教の時代における正典化の萌芽を探る。2.マルキオンの正典形成からの影響について、カンペンハウゼンとタイセンの説に沿いながら、「マルキオンへの反撃が、キリスト教会における正典の成立を根底から規定した」とする。なお、これについて大貫隆は、青野よりはやや慎重に「その後のキリスト教の正典成立史に測りがたい「触媒」効果を及ぼした」と語る。
- 大貫隆は、東方教会と西方教会の特徴を述べ、シリア教会での正典史にも触れる。1.ユスティノス、エイレナイオス、テルトゥリアヌスに注目し、西方教会において、救済史の観点から、ユダヤ教の聖書がキリスト教の旧約とされ、イエス・キリストとそれ以降の文書が新約とされた(新約聖書の規範性やその範囲は三者で異なる)。2.a)使徒教父がユダヤ教聖典の神的権威からイエス・キリストのメシア性を論証したのに対し、ユスティノスは、イエス・キリストの永遠の神性から出発して旧約聖書はそのロゴスが自分自身について語った書だとした。b)エイレナイオスは正典的な福音書を四つに限定することによって新約聖書の「観念」を確立し、それによって「旧約聖書」という概念も確立させた。c)テルトゥリアヌス の「信仰の規準」を「一種の外部原理」と理解して、これによって旧約と新約の二つで形式的にも内容的にも閉じられた「単一のキリスト教文書」という理念が形成されたと見る。3.この3人によってキリスト教の正典としての旧新約聖書の理念と原理が確立され、これより後は、新約聖書の範囲(「外延」)を決定することが課題となった。4.東方教会では、教会で受容されている文書がリスト化されていく中で、新約聖書の外延が明確かつ意識的に限定されることとなった。5.アタナシオスやヒエロニュムスの東西の行き来から、西方で確立された新約正典の理念は東方へ伝えられ、東方で明確に限定された新約の外延は西方へと伝えられたと推測する。
- E.シュヴァイツァー(小原克博訳)『新約聖書の神学的入門』(日本基督教団出版局、1999)の「第八章 回顧」が新約正典成立の意味について。
- 田川建三、『書物としての新約聖書』、勁草書房、1997、706+39頁、8400円。
- 荒井献編、『新約聖書正典の成立』、日本基督教団出版局、1988、376頁、4500円。
- 執筆陣は、荒井献、川島貞雄、青野太潮、井谷嘉男、大貫隆、宮谷宣史、三小田敏雄。中身は見ていないので不明。
- H.Y.ギャンブル(宇都宮秀和訳)、『新約聖書正典――その生成と意味』(聖書の研究シリーズ29)、教文館、1988、192頁、1800円。
- 何とも読みにくくて、読む気がしないので不明。
- マルクスセン(渡辺康麿訳)『新約聖書緒論』(教文館、1984)の「後書き――正典(カノン)としての新約聖書」。★
- 正典性の基準である「使徒性」を、「歴史における始源への直接性」と解し、「本来の正典は新約文書以前にある」とか、共観福音書記者たちの手許にあった資料文書の方が本来の正典に近いとする。この「事柄のカノン」には、新約聖書という「文書のカノン」を通じてのみ到達できる。それゆえ、「真に「使徒的」起源をもつ新約文書は一つもない」、「現在の完結した姿の新約聖書を拘束力のある「規範と標準」(カノン)としての「リスト」(カノン)と考えることはできない」などとする。結局、「新約正典の限定は偶然的なもの」と結論づけるしかない。つまり、なぜ27書に限定されたかも、限定されたことの意味もこの人には分からないのである。
スタントン『福音書とイエス』(ヨルダン社、1998)の第7章は「なぜ四福音書なのか?」。「四つのすべてがイエス物語の重要性はひたすら十字架と復活の光の下においてのみ理解されることを、強調している。」(p.222)
古くは、小島潤(おじま・じゅん)『新約聖書正典の編成と伝承』(聖文舎、1972、144頁)。前半が正典化の歴史。後半は、写本の発見と校訂本文の公刊の絡み合いの話で写本の系統への関心が強く出ている。
その他、正典論の文献。
1.2 外典・偽典、使徒教父文書
- 荒井献編、『使徒教父文書』(講談社文芸文庫)、講談社、1998、486頁、1500円。
- 使徒教父文書(もんじょ)。「十二使徒の教訓」、「ヘルマスの牧者」、「バルナバの手紙」、「クレメンスの手紙」、「イグナティオスの手紙」、「ポリュカルポスの殉教」など十篇。もとは、荒井献、佐竹明、小河陽、八木誠一、田川健三訳『使徒教父文書』(『聖書の世界』別巻4、新約U)、講談社、1974。
- 荒井献編、『新約聖書外典』(講談社文芸文庫)、講談社、1997、525頁、1600円。
- 荒井献、八木誠一、田川建三、大貫隆、小河陽、青野太潮、藤村和義、佐竹明訳。
- 荒井献、『トマスによる福音書』(講談社学術文庫)、講談社、1994、335頁、1000円。
- トマス福音書の背景、翻訳と注解、トマス福音書のイエス。トマスによる福音書は、1945年エジプトで写本が発見された、グノーシスによる114のイエス語録集。
新約聖書の言語
写本の歴史と本文批評
「本文」は「ほんもん」と読む(『旧約聖書神学事典』、『聖書学用語辞典』参照)。ただし『新約旧約聖書大事典』の見出しは「本文(ほんぶん)」。なお、「正文批判」という人もいる(田川建三など)。
- ブルース・M.メツガー(橋本滋男訳)、『新約聖書の本文研究』、日本基督教団出版局、1999(原著1964初版、1992第3版)、366頁、7600円。
- 高いけど、ぜひ読む価値ある本。7600円払って損はない。写本の歴史と写本家の姿がおもしろい。これ以前に、1968年第2版からの同じ訳者による邦訳、『新約聖書の本文研究』、聖文舎、1973年があった。目次はこちら
- 田川建三、『書物としての新約聖書』、勁草書房、1997、706+39頁、8400円。
- 新約聖書とはどういう書物なのか、一冊の書物になったのはいったいどういう現象なのかという課題に対して、正典化、言語、写本、翻訳という四つの主題を通して、新約聖書の外面的な事情を説明する。その際、キリスト教の護教論的な見解を退け、あるいは、ギリシャ語テキストの出版や翻訳の問題を帝国主義的世界支配の中で生じた現象と見る。
- 本文批評について有益。高いし毒舌だけど、ぜひ読む価値ある。しかし、やっぱり、毒舌をもっと減らして価格を安くしてほしかったと思うが、それでは田川ファンにはつまらないのか。
古いところでは、蛭沼寿雄『新約本文批評』(新教出版社、1962、192頁)。蛭沼『新約聖書の成立』(比叡書房、1950、354頁)と合わせて、蛭沼の新約本文研究の一部をなすものとのこと。主要写本一覧表があるのがよい。本文(ほんぶん)は25-110頁で、あとは付録として様々な写本の特徴が述べられている。
B.M. メッツガー(土岐健治監訳)、『図説 ギリシア語聖書の写本――ギリシア語古文書学入門』、教文館、1985、172頁、8400円。
新約聖書の本文上検討すべき箇所を実際に本文批評したものに、
- Bruce M. Metzger, "A Textual Commentary on the Greek New Testament," Second Edition, Deutsche Bibelgesellschaft / United Bible Societies, 1994.
- UBSのforth revised editionの本文批評欄にあるランク付けを解説。
- 田川建三の『新約聖書』
- 。
ネストレ−アーラント★
26版と27版は本文は同一らしい。ただし、Rome16:7のユニアスは、第27版の第五修正刷り1998年から、女性形としてのアクセントが付けられたとのこと。クラウス・ヴァハテル、「ネストレ-アーラント最新版の歴史と方針」 in 日本聖書協会編『今、聖書を問う。――国際聖書フォーラム2006講義録』(日本聖書協会、2006)のp.99。
ネストレ-アーラント・デジタル版は、Digital Nestle-Alandのサイトで、NT Transcriptsをクリックして出て来た画面でPrototypeをクリック。
N/Aの序文と写本やアパラタスの記号等を説明した部分の邦訳がある。橋本滋男、津村春英訳『ネストレ=アーラント ギリシャ語新約聖書(第27版)序文』(日本聖書協会、1995)。訳は悪いというか、さらに解説が必要というか、ある程度知識がないと何を言っているのか分からない。
聖書批評学
『新約聖書神学事典』(教文館、1991)に、山内眞「聖書批評学」「編集史」、土戸清「伝承史」「文献批評」「様式史」などの項目あり。
- 日本基督教団出版局編、『聖書学方法論』、日本基督教団出版局、1979、238頁。
- 「T 歴史批評学的観点から」と「U 解釈学的観点から」の二部に分かれている。この第一部の方に、橋本滋男「新約本文研究」、川島貞雄「新約聖書の伝承史的研究」、荒井献「文学社会学」がある。
- N.ペリン(松永希久夫訳)、『編集史とは何か』、ヨルダン社、1984(1969)、200頁、1,751円。
- 聖書批評の方法論の一つ。巻末の「訳者あとがき」で編集史という方法論の問題点が論じられている。その内容は、松永希久夫『「史的イエス」像考察』(東神大パンフレット、1984)と重なっているとのこと。
- コンツェルマン(田川健三訳)、『時の中心 ルカ神学の研究』(現代神学双書28)、新教出版社、1965初版1966再版(1954初版1962第4版)、446頁。
-
第一部 | ルカ福音書構成要素としての地理的表象 |
第二部 | ルカの終末論 |
第三部 | 神と救済史 |
第四部 | 歴史の中心 |
第五部 | 人間と救済(教会) |
- 様式史の後に出て来た編集史的研究の嚆矢(『新版 総説 新約聖書』、p.34)。
緒論学は特殊緒論と一般緒論に分けられる。特殊緒論は、個々の文書の成立(著者、執筆の時期と場所、動機と目的、読者層、統一性と資料)を扱う。一般緒論は、諸文書の伝承(テキストと翻訳の歴史)及びその集成(正典の成立と歴史)を扱う。これらの課題はすべて歴史的問題に関わるゆえに、世俗的な文献学で用いられる方法によってのみ研究し答えることのできるものである。マルクスセン(渡辺康麿訳)『新約聖書緒論――緒論の諸問題への手引』教文館、1984、p.19に加筆。★
3.1 初期キリスト教の変遷と各書の成立
『新共同訳 新約聖書注解T』に、橋本滋男「総論・新約聖書の歴史と文書」あり。初期キリスト教の歴史的状況をたどりながら新約27書成立の経緯を概説する。
E.シュヴァイツァー(小原克博訳)『新約聖書の神学的入門』の第1章が「口伝と最初の文書化」。
3.2 各書概説
事典項目など
『キリスト教大事典』、『小型版新共同訳聖書辞典』(キリスト新聞社)、『新共同訳聖書辞典』(新教出版社)、『新共同訳聖書事典』(日本基督教団出版局)、『岩波キリスト教辞典』に各書の項目がある。
『新約聖書神学事典』(教文館、1991)は各書が項目として挙げられ、緒論的内容が記されている。『旧約新約聖書大辞典』(教文館)の各項目も見る。
高橋虔、B.シュナイダー監修『新共同訳新約聖書注解T、U』(日本基督教団出版局、1991)の各書の序論や、その他、各注解書の緒論を見る。
聖書知識といった感じで一冊になっているもの
割と使えそうな順
- 土戸清、『現代新約聖書入門』、日本基督教団出版局、1979、190頁、2300円。
- 各書ごとに、内容の区分とポイントを簡潔に提示。浅見定雄『旧約聖書に強くなる本』(日本基督教団出版局、1977)の新約版という感じの図表が多い。巻末に綴じ込み(折り込み)のすごい文献一覧表がある。今やちょっと古いけど。
- A.M.ハンター(吉田信夫訳)、『現代新約聖書入門』、新教出版社、1983(19451,19805)、367頁。
- 新約聖書各書ごとの概説。原著初版の改訂版(1957)の邦訳は小黒薫訳『新約聖書神学入門』日本基督教団出版部、1958として出た。また、ハンターは、吉田信夫訳『新約聖書案内』(新教出版社、1978(1974)、154頁、850円)という一般の信徒向けの小さな本も出しているが、これは新約の各書を網羅していない。
- ウィリアム・バークレー(高野進訳)、『バークレーの新約聖書案内』、ヨルダン社、1985(1976)、206頁。
- ユニークな各書案内。
- 『聖書の世界・総解説』、自由国民社、1984初版、最新は2001、480頁、2625円。
- たびたび版が新しくなっている。内容概観、著者・場所・目的などと思想的特色。新約の部分は、橋本滋男、山内一郎、永田竹司、速水敏彦、山内眞が執筆。
上のものより古いが、ギュンター・ボルンカム(佐竹明訳)『新約聖書』(現代神学の焦点6、新教出版社、1972(1971)、258頁、1456円)というのもあるが、見ていない。
各書を簡単に紹介したもの: 船本弘毅『新版 聖書の読み方』(現代キリスト教選書5、創元社、1983第2版)は、聖書とは何か、正典の成立、背景と66巻各書の極簡単な紹介、そして聖書の読み方。ジョージア・ハークネス『聖書の手引き』(熊沢義宣訳、新教新書251、新教出版社、1997、190頁、1000円)は、もともと新教新書2番であって、改訳新版を出すくらいだから内容はまともかと思ったけど、簡単すぎ。古いが、O.クルマン『新約聖書』(倉田清訳、文庫クセジュ415、白水社、1967(1966)、179頁、951円)は、各書の中心的テーマ、執筆された状況、著者や年代などを紹介。
3.3 一応しっかりと書かれた概説・緒論
割と最近出版されたもの
- 原口尚彰、『新約聖書概説』、教文館、2004、186頁、2500円。★
- 新約聖書概観と時代背景、新約聖書研究法の後、各書を概説。各書ごとに参考文献リストが付けられている。物語批評、修辞学的批評、書簡論的考察などの解説が特色。
- 大貫隆、山内眞監修、『新版 総説 新約聖書』、日本基督教団出版局、2003、544頁、7200円。
- 初版(1981)後20年を経て全面改定されたもの。初版の執筆者はひとりも残らず、より多くの執筆者によっている。また、初版は、共観福音書は橋本滋男、ヨハネ文書はすべて中村和夫と言った特色があったので、この「新版」は言わば別の書物と見た方がよいかもしれない。読むたびに、なるほどと感心するよりも、高い金払って買って損したと思うことの方が多い本。
- 大貫隆「史的イエスから福音書と使徒言行録まで」、山内眞「パウロ研究の最近の動向」、マルコ:廣石望、マタイ:小河陽、ルカ:加藤隆、ヨハネ:大貫隆、使徒:山田耕太、ロマ、コリント:青野太潮、ガラ、フィリ:山内眞、テサ、フィレ:井上大衛、エフェソ、コロサイ:永田竹司、牧会書簡:辻学、ヘブライ:笠原義久、公同書簡:辻学、小林稔、黙示録:小河陽。そして最後に、新約正典成立史:青野太潮、大貫隆、本文批評(たった6頁):土岐健治。参考文献は巻末にまとめられている。
- 小河陽のマタイはなかなかよくまとめられている。記述も良心的。ただ、諸説の代表的な主張者を記していただくとよかった。★
- ルカと使徒が別々に解説されていることについて、ルカの加藤隆は「今後は、一つの作品の前半だけあるいは後半だけを解説したり、あるいは前半と後半を別の者が担当して解説するといった不適切な習慣は訂正すべきである」と言う(p.111)。確かに一理あるが、そんなことは本文中で言うべきでない。執筆を引き受けておいて不満をあらわすのは全くの筋違いであり、読者・購入者をバカにしている。せいぜい注のような形で、「今後、同一の担当者が解説することが期待される」というぐらいの表現にしておくべき。★
- ざっと見たところであるが、ペトロの手紙1,2、ヨハネの手紙1,2,3の小林稔は、神学的特徴とか思想的特徴ということで何を語るべきか分かっていないように感じる。★
- E.シュヴァイツァー(小原克博訳)、『新約聖書の神学的入門』(NTD補遺2)、日本基督教団出版局、1999(1989)、372頁、5500円。
- 最初に口伝から文書化までを論じ、その後、各書を著者別年代順に解説。各書の著者年代などの緒論と執筆の意図と神学的テーマがわりといいかも。訳者あとがきによれば、「彼にとって関心のあるのは、聖書テキストの著者および著者の属する共同体が直面させられた神学的決断であり、聖書各巻がまったく多様な状況の中で生み出されつつも、そういった神学的決断が多重に織り成されることによって立ち現れる聖書の全体像である。・・・一般に書物を熟読するときには「行間」を読むということが求められる。聖書においても同様であるが、特に本書を通じて読者が知るのは聖書の「書間」を読むことの大切さ(楽しさ)であろう。」とのこと。訳者による目次と紹介記事あり。
G. タイセン(大貫隆訳)『新約聖書――歴史・文学・宗教』(教文館、2003、294頁、2100円)は、新約聖書を文学史的に理解する初めての試みとのことだが、ここでは必要ないだろう。
少し前に出版されたものだけど、参考になるもの
- W.マルクスセン(渡辺康麿訳)、『新約聖書緒論――緒論の諸問題への手引』、教文館、1984(19631, 19784)、531頁、5500円。
- 第1章「神学的課題としての新約聖書緒論」で、「緒論」という表現とその内容の問題、緒論学がどういう意味で神学的であるか、釈義との関係などを論じる。ちなみに、緒論学という歴史的研究は「正典という教義上の概念の重荷」から解放されているにも拘わらず、対象を新約聖書の27書に限定する理由は、新約聖書が「世界文学として・・・他の文書には見られないような影響を後世に及ぼしてきた」からとする。★
- 『総説 新約聖書』、日本基督教団出版局、1981、552頁。
- 序説と最後の新約正典成立史を川島貞雄、共観福音書を橋本滋男、ヨハネ文書すべてを中村和夫、使徒行伝を荒井献、パウロ書簡(2テサを含む)を松永晋一、エペソ・コロサイと牧会書簡を川島貞雄、ヘブル人・ヤコブ・ペテロ・ユダを川村輝典。
これ以前の日本人によるものは古い順に、石原謙『新約聖書』(岩波書店、1935)、高柳伊三郎『新約聖書概論』(新教出版社、19521、19563)、渡辺善太、岡村民子『新約聖書各巻概説』(日本基督教団出版局、1954)、前田護郎『新約聖書概説』(岩波書店、1956)、山谷省吾『新約聖書解題』(改訂版、新教出版社、1958)、竹森満佐一『新約聖書通論』(新教出版社、1958)。
!doctype>